Youtubeを見ていると突然
お下品な動画広告が割り込んできて
ウザッ!
と思うことってありますよね。
今回はこの“ウザッ”
という感情を
画家の視点で
分析してみようと思います。
高校時代、美術部の
顧問の先生と
好きな画家の話を
したことがあります。
私も顧問の先生も
好きな画家の名前を
いろいろ挙げていったのですが
その話の時、非常に
印象的だったのが
顧問の先生が
話していたこの一言です。
「ラファエロの描く顔の表情は
どうしても好きになれないかな。
子供の顔も女性の顔も
凄く可愛く描くんだけど、
どうしても媚びている
ように見えて…」
これは確かに納得です。
“ラファエル前派”という流派が
19世紀のヨーロッパに出現しましたが
これは
「今の時代最強の
お手本になっている
ラファエロの様式は
一回忘れて、
ラファエロ以前の様式を
参考に作品作ってみようぜ!」
という考えを持った流派です。
ここからわかる通り
ラファエロの様式は
長い間ヨーロッパでは
最強のお手本だったのです。
ラファエロの作品は
ラファエロの肖像画は
クライアントや観客への
サービス精神で
溢れています。
今の時代で言えば
新海誠の映画とかに
似てると思います。
つまりこれらは
「より多くの観客のハート
を揺さぶるために
最大公約数的な感動
を演出する作品」
であり
これはコアなファンからは
ウザいと思われるわけです。
「ほらほら、どうせお前らって、
こういうの見せときゃ
感動するんだろ?」
「お前らが欲しいのって、
要はこれだろ?くれてやるよ。」
と言われている気分
になりウザいわけです。
安い感動や浅はかな欲求を
押し付けられるのは
ウザイわけです。
24時間テレビが時々
「感動ポルノ」として
叩かれている原因も
この辺りにあるでしょう。
これらの“ウザい要素”は
Youtube広告にも
ラファエロの肖像画にも
大ヒットする商業映画にも
言えることなわけですが
これはある程度仕方のないこと
なわけです。
これらは
「より多くの観客の
ハートを揺さぶるために
最大公約数的な
感動を演出する作品」
という言葉で説明しましたが
この要素からは
ビジネスをやる上では
逃げられないのです。
「○○ちゃんが感動してくれる
作品さえ作れれば良い」
こういう姿勢はアーティストとして
美しいのかもしれませんが
ビジネス的には問題あるのです。
残酷でリアルな話ですが
○○ちゃんが
払ってくれる1万円も
どこの誰だかわからない人が
払う1万円も
同じ1万円だからです。
○○ちゃんが払ってくれる1万円は
メチャクチャ価値があるので
10倍の購買力を持つ
みたいなことにはならないのが
資本主義社会なわけです。
誰が払ってくれた1万円も
1万円の価値を持っています。
1万円払ってくれるなら誰もが
等しい価値のある
“お客様”なわけです。
するとより多くのお客様を
動員する必要が出てきます。
すると
「より多くの観客のハートを揺さぶるために
最大公約数的な感動を演出する作品」
が強いわけです。
そしてコアなファンから
“ウザい”と思われる
安い感動や浅はかな欲求
を押し付ける
何かが生まれます笑
しかし私はこの状況を
悲観してはいません。
なぜなら顧客は時代を経るごとに
賢くなっていくからです。
簡単に騙されなくなりますし
簡単に感動しなくなるわけです。
言い方は難しいのですが
こういう
“顧客教育”が進むことで
「より多くの観客のハート
を揺さぶるために
最大公約数的な感動
を演出する作品」
はどんどん飽きられていき、
「○○ちゃんが感動してくれる
作品さえ作れれば良い」
みたいな作品も評価されるように
なっていくと思うわけです。
日本をこういう作品が
評価される社会に変えるためにも
“顧客教育”を進める必要があり
そのために
どんどん絵を売っていくべきだと
私は考えているわけです。
最後まで読んで頂き
ありがとうございます。
それではまた
次回までさようなら~